ヘッター

開発の歴史
  概略編(あらすじ)                                  English

        サブタイトル

『竜ヶ岩洞発掘記』
引佐町田畑にある竜ヶ石山(359m)の南麓に、鍾乳洞があることはすでに大正時代から地元の人々に知られていた。
附近一帯は、秩父中古生層という古い岩石(石灰岩)で形成され、
夕暮にコウモリが飛び出してくるその洞窟は、地元の子供たちの探険遊びの場でもあった。
その洞窟の一番奥まったところに、探険に入る度にのぞき込んでは引き返す幅50cm 高さ10cmの小さな窓があり、
そこから吹き出してくる風、そして懐中電灯に照らされた先には、確かに空洞が続いているかのように見えた。
1981年(昭和56)6月より、一輪車に粘土を積んでは運び出し、洞窟内の整備を進めていた地主でもある故戸田貞雄氏の理解を得た二人の洞窟愛好家が、
同年10月「この窓を抜ければきっと新洞があるはずだ。」そう信じて、手掘りでの拡張作業を始めた。

鳳凰の間

洞内気温15℃の中、地下水流と粘土の上に腹ばいになっての作業・・・。
そで口より水が入り込み、全身泥だらけになり、まだ見ぬ向うの大空間を夢見て黙々と作業は続けられた。
延べ3日間に及ぶ作業の末、まず一人が、そしてもう一人が抜け出る事に成功した。
懐中電灯に照らし出された前方の空間、鍾乳石の数々に思わず歓声が上がる。
「やった。ついにやったぞーっ。」
のぞき込む度にため息をついてはあきらめていた難所を、ついに抜け出る事に成功したのだ。
(後に、戸田氏によって“喜びの窓”と名づけられる。)
その後、数々の難所を突破し、同年11月に「大広間」到達、「白ろうの間」の発見と洞内地図はどんどんその距離を伸ばし、
次から次とライトに浮かび出される鍾乳石、2億数千万年もの間眠り続けていた未知の地底世界が、まるでパノラマ写真を見るかのように調査隊の眼前に現われた。
そして同年12月、調査隊はついに「黄金の大滝」にたどりついた。
 かすかな水音を追って狭い通路をくぐり抜けると、そこに突如として大空間が現われ、しぶきを上げて水が落下していたのだ。
“地底の大滝だ!”  想像すらし得なかった大滝発見の瞬間である。
誰もが時を忘れ、それまでの苦労も寒さも、そして自分 さえも忘れてしまったかのように黙ったまま、眼を輝かせじっと大滝を見続けた。
調査と共に開発も急ピ ッチで進められ、約2年半もの歳月をかけて、1983年(昭和58)10月に全洞が一般公開となった。
その後の調査により、総延長1000mにも及ぶ大鍾乳洞であることが判った。

目次へ
目次へ戻る

-13-
フッター